せんとくん応援ブログ

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奈良の思い出、せんとくん前史④

想像を遥かに上回る大きさの東大寺大仏殿を仰ぎ見た時の衝撃は、私の奈良に対する印象を決定付けるに十分でした。出発前はほとんど京都ばかりを楽しみにしていて、実際に京都観光でも感動と興奮を味わいましたが、巨大な大仏殿はこの修学旅行で回った寺社の中でも最高の破壊力を持っていました。


小学生の男子とは、単純な刺激に弱いものです。とにかく東大寺が広く、金堂(大仏殿)が大きいというその巨大なスケールに圧倒され、奈良のことが大好きになりました。


大仏殿では大仏様の迫力に感動し、おきまりの柱の穴くぐりをするなどしました。仏教的にはこういう感覚は不敬なのかも知れませんが、大仏様よりも、大仏殿の大きさの方が私にとっては衝撃的でした。


その後、鹿せんべいを買って鹿に追いかけ回されたりお土産屋さんに行ったりして、一行は最後の目的地、法隆寺へと向かいました。


実は、今では東大寺が奈良の神社仏閣で最も好きな場所だという訳ではありません。聖徳太子のファンである私は、法隆寺の方が好きですし、もちろん他にも好きな社寺があります。


ただ、この時は法隆寺で、大仏殿を見た時ほどの特別大きな衝撃を受けることはありませんでした。小学生の私には、その印象を消化するのは少し難易度の高い場所だったのでしょう。


法隆寺では、五重塔の塑像群を拝観したことや、西院伽藍の廻廊の前に座ってガイドさんから説明を受けたこと、その廻廊にあるエンタシスの柱に少し変わった印象を抱いたこと、全体として東大寺周辺とは違う独特の空気を感じたような気がすること(今思えば、一種の異国情緒だったのでしょう)・・・・・・などを、何となく覚えています。


時期的に、恐らく夢殿の御開扉もされていたのではないかと思うのですが・・・残念ながら、ハッキリとした記憶はありません。本当に勿体ないことです。


そうして、京都と奈良の観光を終えた私たちは、愛知への帰路に着きました。


バスが学校に到着した時には既に辺りは暗く、保護者たちが迎えに来ていました。私はこの二日間での感動と興奮の余韻を胸の中で何度も噛みしめながら、母親の車で家に帰りました。


この日以降、私は奈良と京都の大ファンになりました。しかし、確かに最も大きなインパクトがあったのは東大寺なのですが、この時点ではまだどちらかと言えば京都の方が好きでした。日本史好きのガキだった私は、残る資料が少ない時代に都があった奈良よりも、より長く都が置かれ、より多くの歴史的な出来事の舞台となっている京都に惹かれていたのでしょう。つまり、修学旅行での印象以前の問題で、京都への強い憧れがもともとあったのです。


しかし、そんな両者の私の中での立ち位置も、9年後に完全に逆転することになります。それはもちろん・・・あの男の、存在によるものでした。