せんとくん応援ブログ

不滅の英雄せんとくんを讃えるブログです

奈良の思い出、せんとくん前史②

私の心に奈良県の存在を強く印象付け、後にせんとくんに対して大きな関心を抱かせる伏線となった出来事。それは、小学6年生の時の修学旅行でした。ちょうど、20年前の10月になります。


修学旅行の行き先は、地域や学校によってまちまちですが、全国的に最もポピュラーなのは京都・奈良の2つの古都を巡るコースでしょう。両県まで車で3時間ほどで行ける愛知県の小学校に通っていましたから、そこの修学旅行も当然のようにそのコースでした。


当時の私は歴史の授業が好きだったので、歴史上の多くの出来事の舞台となっている古都に行くのは楽しみでした。でも、その修学旅行自体に、何となくですが京都の方がメインといった感じの雰囲気があり、私自身、奈良よりも京都に行くのを楽しみにしていました。せんとくんの大ファンを自認する今となっては忸怩たる思いですが・・・正直に申し上げて、当時の私は京都により強い関心を持っていたのです。


実際に、修学旅行に行く数週間前から、毎日の「帰りの会」の時に1・2人ずつ抱負を発表させられていたのですが、クソガキだった私は「金閣寺を見て美しさに感動し、銀閣寺を見て銀色じゃないことにガッカリする波乱万丈の時間を過ごしたい」(そもそも慈照寺はコースに入っていないのに)というバカなことを言ってしまい、奈良のことには全く触れませんでした。


そうして迎えた1泊2日の修学旅行では、初日に清水寺鹿苑寺金閣、さらに平等院を巡りました(平等院は道が混んでたら時間なくて行けないと言われていたのでラッキーだった)。京都大好き小学生の未来のせんとくんファンは、千年の都の美しさに狂喜乱舞し、完全に奈良のことなど頭の中から吹っ飛んでしまっていました。京都最高!京都最高!!私の中はそれだけでした。実際に、この時の感動をきっかけに、中学校の途中くらいまではその難易度も知らずに京都大学に入りたいとさえ願うようになります。


そんな奈良を裏切ったクソガキを乗せた一行は、その日は夕方に奈良県入りし、どこにも寄らずに真っ直ぐ宿泊所に向かいました。初日の日中に京都を巡った後、奈良に泊まって翌朝から奈良県を観光する日程でした。


宿泊施設は、若草山の目の前にある「白銀屋(しろがねや)」という旅館でした。到着して荷物を部屋に置いた後、食堂で奈良の鹿のお話を旅館の方から聴いて郷土料理をご馳走になり、なんとその後東大寺の二月堂に向かいました。もちろんとっくに夜となっていましたし、お堂の中に入ることは出来ませんでしたが、高台から観る奈良の街の夜景に心癒されました。


堂内ではお坊さんが宿泊しているから絶対に大声を出さないようにと事前に先生から強く釘を刺されていましたが、私のようなイタズラ小僧でさえ友達とはしゃぐのは無粋だと思えるほど、そこは美しい静寂に包まれていました。


・・・この記事で修学旅行について書き終えるつもりが、もう一つ記事を費やすことになりそうです。そもそもこのカテゴリーの記事ではせんとくんにまつわる個人的な思い出を記していくはずなのですが・・・せんとくん生誕以前のことで3つも記事を書くとは、一体何のブログなのか訳が分かりませんね。


でも、この修学旅行が私に奈良県に対する生涯消え去ることのないであろう憧れを植え付け、その憧れがせんとくんへの愛情を強める大きな要因となったことは事実です。この翌日、自宅に帰って来る頃には、私はすっかり京都のみでなく奈良県の大ファンにもなっていました。